BETTERDAYZ

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【十年缶保存計画】日清カップ・ヌードルのタイム・カンを発見!

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「タイムカン10ヵ年計画」
2000年8月に20世紀最後の年を記念して発売された、日清食品のカップヌードル「TimeCan(タイムカン)」。2010年に開封することを想定して企画した商品で限定発売された。そのスチール缶の中にカップヌードルが1個密封されていて、20世紀カードがランダムに1枚封入されている。

20世紀カードのラインナップ
・20世紀辞典 1989年ベルリンの壁崩壊
・20世紀辞典 1986年ハレー彗星
・20世紀辞典 1969年アポロ11号月面着陸
・20世紀辞典 1964年東海道新幹線開業
・懐かCM プロントテリウム篇
※その他、何種類あるかは不明

たしか近所のセブンイレブンでカップ麺の陳列棚の端にひっそりと置かれていたのを興味本位で2個だけ買った覚えがある。数か月後、1個は落下して缶が凹んだので夜食として食べた。もう1缶は存在そのものを忘れていて、最近になって部屋を整理中に突然出てきて懐かしかったのでこの記事を書いている。

賞味期限は2010年なので、既に6年オーバーしているし、かなり前に自主回収になっているらしく、この記事を書いたら日清へ送ろうか、記念にそのままとっておこうか迷っている。
賞味期限は2010年なので、既に6年もオーバーしているから食べる気はないけどね。

大切に保管していたタイムカンと現行品の食べ比べに挑戦した食レポがあった。
20世紀の遺品 - タイムカンを食べる -

これによると容器も現在の紙製ではなく発砲スチロール製だった事が画像でも良くわかる。
味付けも現行品と当然違うらしく、とても食べたい衝動に駆られる。
2020年の東京オリンピックの時に開封したら製造から20年か・・更に無理だな

2004年のタイムカン回収騒ぎとは
毎年開封、10年間の試食レポートを毎年更新していたユーザーによる報告が発端となる。
2003年、発砲スチロールの容器に中身の油分が染み出していた事から経過観察
2004年も同様であった事から日清に連絡、現物回収による発生調査が行われる、
同年3月26日、日清が自主回収を決定。
その原因は缶の上蓋部の巻き締め不良と言われている。

ヤフオク取引きにおけるこんなことあんなこと

auctions.yahoo.co.jp

ヤフオクでの取引き経験はそこそこ長い。

最近では、もっと手軽なスマホアプリが活況みたいだが、自分にはこのシステムが使い易くてお世話になっている。これから始める人達にも出品手数料やかんたん決済手数料が“0円”となり、かなり敷居が低くなっていると思う。

そんなヤフオクも取引き数が増えてくると個性的な出品者さんや落札者さんに遭遇する。

ちょっと困った落札者さん

  • 取引き完結までに異常に時間が掛かる、超のんびりな落札者さん
  • 落札した後で値引きをしてくれと言い出す、ちゃっかりな落札者さん
  • 遠方から発送していると事前に説明しても、発送翌日にまだ来てないと言うせっかちな落札者さん
  • 「入金したぞ早く送れ」と高圧的な、嫌なタイプのせっかちな落札者さん
  • 取引き終了後に御礼を入れると世間話しを取引き連絡に書いてきて延々と終わらない情の厚い落札者さん
  • 商品を発送後、ありがとうござましたと言いつつ、やっぱりキャンセルさせて下さいとのたまう、身の程知らずな落札者さん
  • 入金しましたと仕事中に携帯に電話をくれる落札者さん(ご本人は公休日)
  • 普通郵便だったが商品がポストに入らないサイズで不在票が入っていたにもかかわらず「まだ未着なんで調べて直ぐに連絡下さい」という落札者さん
  • 最新 取引き連絡の返信なく、既に支払いはしてくれているのに落札者の情報が連絡来ない。催促するもなしのつぶて。で、「商品いつ届きますか」ときた。何処に送ればいいのさとイラッときてる。まだ連絡ない

取引きしていて楽しい落札者さん

  • とにかく取引き連絡の文章が綺麗で人柄が出ている落札者さん
  • タイミングの遅れなく、スムーズに取引きが完結する落札者さん
  • 商品到着後、取引き連絡と評価それぞれに丁寧に対応してくれる落札者さん
  • まとめて落札してくれた落札者さん(めったにいない)
  • 届いた商品に対し、自分の言葉で感謝してくれる落札者さん

こんな風になりたいと思った出品者さん

  • 落札したのはレコードだったが新品のカバーを付け、メチャクチャ梱包が丁寧(時間掛かったと思う)で補強まで完璧な出品者さん
  • 記念日の贈物として落札した際「急いでいるようなので」と翌日の入金前に即日発送してくれた出品者さん
  • 商品に関連した“おまけ”をこっそり同梱してくれた出品者さん
  • 一番安い送料しか支払っていないのにランクアップした発送方法で発送してくれた出品者さん
  • ジャンクですと説明しながら、発送前に可動状態をしっかり確認して修理までしてから発送してくれた出品者さん
  • 申し訳ないほど安価で落札したのに、最後まで迅速・丁寧な対応をししてくれた出品者さん(届いた商品も最高だった)

 

こんな感じで良いこと嫌な事がバランスとれた取引きとなってとても刺激がある。ヤフオクはネットの世界での個人間での取引となるが、それぞれ相手に感謝の気持ちがあれば、とても気持ちの良い取引きが出来る。

 

 

 

中学校時代 アラスカ・アンカレッジの想い出②

さて米会話学院に通い始めて中学にあがった頃

海外研修の参加者募集のパンフレットが先生から配布された。
自分達の住んでいる市と姉妹都市のアンカレッジへの語学研修との事。
費用としてはかなり高額だったと思うが両親は「行ってきな」と言ってくれた。

ところが事前の準備がこれまためんどくさくて萎えた。
パスポートの申請~取得
市内の病院で予防接種
学院で数回のオリエンテーション
荷造りとホームスティへのお土産用意等々

出発当日
初めて親元を離れての海外旅行にテンションMAX
友人達もかなり高揚した危険な状態だった。

憧れの飛行機、それも国際線に乗るなんて・・
しかし喜びも束の間、長過ぎた機内生活が僕らを苦しめる。

やっと寝たと思ったら起こされて寝ぼけながらの食事、終わって寝たらまた食事に起こされる。なんなんだこの繰り返しは
スマホも携帯ゲームも無い時代、友達とバカ話ししていてもすぐ飽きる。
脚はむくんでパンパン

気の遠くなる時間を経て、やっとアンカレッジに到着
空港で盛大な歓迎セレモニーを受けるが、身体はガタガタである。

第1日目
空港で各自ホームスティ先のお迎えを受けて、ドナドナ状態で連れて行かれる。
例の3人組がセットで行動する事になった事が唯一の救いに

ホームステイ着
家は平屋だったが綺麗な芝生に囲まれ、いかにもアメリカンな外観だった。
ママさんに付いて家の中を見せてもらう。

寝室・子供部屋・バスルーム・トイレ・居間~キッチン、そして地下室。
地下室にはビリヤードなんかもあり、なかなかカッコよかった。
今晩はここで寝る事に

夫婦の寝室にはウォーターベット
棚に小口径の拳銃の弾が皿の上に無造作に置かれていた。
子供部屋には二つのベットと壁にはコーラのリングプルを繋げた変な飾りがあった。
下の子は自分達より年下のようだった。

その子がバスルームが開けっ放しで湯船?に浸かり泡だらけでボディブラシで身体を洗っていたのを見た時、ここは間違いなくアメリカだわと妙に納得した。

夕食時にお土産を渡す事になり、母が持たせてくれた扇子とショールをステイ先のママに渡すとメチャクチャ喜んでくれた。

夕飯のベーコン・エッグとステーキは美味しかったが、外米を初めて見た時は何かの虫かと思った。
その後、少し休んでから地下室のベットで朝まで爆睡。

第2日目
朝食後に皆で暇そうにしているとスティ先のパパさんが何処に連れて行くと言う。
車に乗せられてしばらく移動、パパさんの勤め先に寄ってお土産にボールペンを頂いた。

それからプレイランドのような所で休憩、キンキンに冷えて凍っているジョッキーにコーラが満タンで飲むのキツかった。

夕方、車で何故か飛行場に移動
何するのかと思っているとセスナに乗れと言う。
完全に定員オーバーで何人が尾翼のスペースに体育座り状態、機体は揺れまくりスリル満点、というか恐怖で心臓がバクバクしていた。

なんとこの家族、セスナ機を所有してるわ山小屋まで所有との事。スケールでかい
これが一般的な庶民の生活スタイルなんだってさ
ちなみにアラスカではセスナの免許は15歳で取れるとか

つづく

中学生時代 アラスカ・アンカレジの想い出

小学高学年の頃
たまたま近所の公園で友人3人と遊んでいたら、厳格そうなオジさんが近寄ってきて「ちょっと私の家で話しを聞かないかい」といきなり誘ってきた。

日本語の発音が少しだけ変だった。
怪しい、コイツは怪しいぞと3人で同じ事をたぶん思いながらも、そのオジさんの家は公園のすぐ近くだし、暇だったから行ってみるか程度の安易な考えでついていった。

家の中に通され、オジさんの奥さんが含み笑いをしながら案内してくれた。
完璧に自分達の情報はオジさんにも奥さんにも掴まれており、どこどこさんのところの子だよねなんて言ってる。
居間のソファーに座ってジュースとお菓子を頂いているとオジさんは突然真顔になって本題に入った。

「君たち英語は好きか?」

「はっ?いえ、とくには」とこんな感じで返したと思う。
まだ俺ら小学生だぜ、英語なんて中学に行ってからジャン

ようは、このオジさんは米会話学院の校長で、なんとか無垢な少年達を自分の生徒にしょうと強引にも勧誘してきたのだった。
人間不思議なもので疑い始めたらオジさん(校長)の人相も悪く見えてくる。

なんか腹黒そうなオジさんだわと感じ、
ジュースを飲みつつ、その場から逃げる事だけを考えていた。
友人の1人が真顔で「両親に相談します。」と絶妙なタイミングで言い放ち、やっと魔の邸宅から開放された。

振返るとオジさんは獲物を逃がしたハンターのような獰猛な目つきをしていて、子供ながらに恐怖に震えたわ。

当時、駅前を少し歩くと小さなビルがあり、1階は旅行代理店で2階にその米会話学院があった。生徒数はそこそこ居て繁盛しているようだった。

結局、その後
校長宅に最も近い所に住んでいた友人の1人は自宅にまで直接勧誘に来られ、完全にゲットされてあえなく入学する事になった為、残った自分達もしぶしぶ入学するハメになったわけ。

月謝はいくらだったかちょっと覚えていないが、テキスト関連を揃えるのにけっこうかかったと思う。

それからは結構真面目に皆で学院に通い
様々なイベントにも参加して充実していた頃、住んでいた街の姉妹都市であったアラスカ・アンカレッジへの海外研修の話しが降って湧いた。

この時、頭の中では「飛行機に乗りてェ〜」とだけ思っていたっけ。

小学生の頃にあった悔やまれる想い出/お宝編

小学校の時に今でも悔やむ出来事があった。

当時、小学校3年生くらいまで平屋でお風呂もない市営住宅に住んでいた。
父は市役所の職員、母は保育士と二人とも公務員だった。
父は寡黙な人で母は保育士という職業がらなのか子供には時々厳しいところがあった。

家は1LDKぐらいの狭い間取りで、夜になると親子三人で川の字になって寝ていたが、狭い家の中では常に親の姿があったので、子供にはとても安心感のある家だったと思う。

ある日、両親に連れられてさほど遠くない日距離にあった建築中の家を見に行った。

まだ、基礎が出来て間もない状態でブロック壁が数段積上げられていた。家の周りは広々とした空地になっており、子供心に大きな家だなと思った記憶がある。

母が「この家が出来たら、ここに皆で住むんだよ」と教えてくれた時はびっくりした。

家の完成まで何度か連れられて見に行ったのだと思うが、記憶がすっぽり抜けていて気が付いたら引っ越しして新しい家にいたという感じである。

新しい家は居間が吹き抜けでとても高く、何よりお風呂があった。
当時の建材はイマイチで杢目のプリント合板の壁がとても暗い感じがして好きになれなかったし、とても独りで留守番なんてできなかった。

ここて初めて自分の部屋をもらえたのだが、その部屋は二階にあり
夜中に尿意を感じて起きても絶対独りでは階下のトイレには行けなかった。
間接照明やフットライトなんて無かった時代で家の中は真っ暗。

それに汲み取り式のボットン便所だったから恐怖倍増である。
隣りの寝室に寝ていた母を起こし、よくトイレまで付き添わせた私。
外で待つ母に「そこにいるよね」と念を押しながら・・

この家の生活にも慣れてきたある日
ふと何かのきっかけで唐突に思い出した事があった。
「押入れのおもちゃはどうしたの?」と母に聞くと
「もって来なかったの?」と母
「え~」と私 絶句して固まる。
今なら子供が独りで荷造りするかよと突っ込みたい

そこで母も取りに行こうという提案をすることも無くフェードアウト
自分もまぁいいやという感じで熱烈アピールしなかったのも悪かった。

数日後に前に住んでいた市営住宅を見に行くと既に他の家族が引っ越して住んでいた。
新しい住人に投げられたか子供がいたらラッキーと自分のものにしたかはわからない。

実は忘れてきたおもちゃが問題だった。
叔父さんやお婆ちゃん、両親や親せきから買ってもらい溜りに溜まっていたおもちゃ
押入れに段ボール5箱のおもちゃを全て失ってしまった。
乱暴に扱って壊すことなく、遊んだ後は綺麗に箱に納めていたのに・・

その内容というと
今でこそお宝アイテムの鉄人28号の箱入りブリキ(3バージョン完全体)
アトムやビックXのブリキ、ハンドルリモコンの車
オバQのビニール人形やじょうご
集めていた子供シャンプーの空容器
初期の仮面ライダーと怪人達のソフビ多数
ヒーローものソノシート、レーシングカー
作りかけの山積みプラモ等
その他思いだせず

そのまま持ってきていてもどこかで投げたり処理したかもしれないが
多少は現存していたかもしれないと思うと悲しい限り

今でも時々、思いだしては悔やまれるのは大人になっての煩悩なのか